『源平盛衰記図会』【14】 有王、俊寛に逢う
俊寛僧都が召し使っていた有王(ありおう)という童がいた。鬼界が島の流人が帰ると聞いて鳥羽まで迎えにいったが俊寛はいない。そこで有王は鬼界が島に渡ることに決め、三月末に舟で薩摩潟へ下った。そしてやがて俊寛をさがしあてると、彼は俊寛に娘からの手紙を渡した。 その手紙で、身内は娘の他皆死んだことを知った俊寛は、食事もとらず有王が島に渡った23日目に死亡した。37歳だった。そのあと有王は京に帰り、僧都の娘に報告すると、娘はすぐに尼となった。