1996(怨念戦隊ルサンチマン日記)

96.12.18…沈黙は敵なり

「日本人の法思想は聖徳太子のころから変わっていない。すなわち、『和をもって尊しとなす』だ」
 かつて法思想を学んだ際、ある人がそう言っていた。ひょっとしたら、稲作文化を受け入れた弥生人の時代から、日本人の法感覚は変わっていないのかも知れない。じつにいやな話だ。
 人と人との和のために何かを犠牲にする…悪いこととは言わないが、それも場合によりけりだと思う。すべてに「和」を優先させるなんてまっぴらだ。なにか問題があるのなら、「和」のためにそれを無視すべきではない。沈黙はこの場合、状況維持への同意とみなされるからだ。沈黙はすなわち、状況に虐げられているものたちを見殺しにする行為である。
 私は自分の正義(美意識、規範、etc)をなによりも優先させたい。それによって「和」が乱れようが構わない。こっちが血を流そうが構わない。この世には血より大切なものがあると信じているのだから。

96.12.17…迂闊!

 なんという失態! 人を救える漫画家は(現役で)もう一人いる。山口貴由(覚悟のススメ)だ。「電波オデッセイ」を読みながら(10回目)思い出した。迂闊! 慚愧に耐えない。

96.12.16…「電波オデッセイ」を読む

 永野のりこ先生の新作「電波オデッセイ」を買った。すんげーいい。むさばるように3回も読み返してしまった(んなヒマあったら『ゼータ0096』書けよな)。
 ストーリーはオデッセイと名乗る「電波のようななにか」に魂を救われた(狂った)少女が人を癒すというもの(だと思う)。これまでギャグという形でコミックの体裁に押さえ込んでいたさまざまなものを、むきだしに描写したような印象がある。すごい。作者も編集者も相当な覚悟の上の作品だろう。ハラワタむき出しの絵を描くよりきわどいことだぜ、これは。
 今、人を救える漫画家はジョージ秋山と永野のりこぐらいだろうと思う。いや、ほんとに。

96.11.27…クリスマスツリー

 12月も間近となり、ショーウインドウなどにクリスマスツリーを見ることが多い。先日、とある自動車ショールームに飾られたクリスマスツリーにふと目が引き付けられた。深夜の町に不釣り合いなほどに輝くツリーを見て、「今年も(心理的に)一人でクリスマスを過ごすのだな」と思った。
 ちくしょう。

96.11.23…くたばれ、(困った)ヘビーユーザー

 世の中にはヘビーユーザーと呼ばれる人がいる。多くの場合、彼等は豊富な知識を持つ。彼等はその専門分野においてなし得ぬことはない。しかしながら、彼等がその専門分野を発展させる原動力になるかと問われれば、はなはだ疑問である。
 ヘビーユーザーには、ユーザーになった理由を忘れてしまう者がいる。「何か」がしたかったから「それ」を使い始めたはずなのに、いつしか「それ」を使うことが目的となってしまうケースは少なくない。そしてさらには、「ヘビーユーザーである」ことが目的となるケースすらある。
 たとえば「俺はオフィス97のベータテスターだ!」などと鼻高々にのたまう人。たとえば「初心者が馬鹿な質問をするから馬鹿と言うんだ」などと開き直る人。
 その人たちは結局、何を為したのだろうか。「為し得る」ということと「為す」ということには天地ほどの差があることを、彼らは気付かないのだろうか?

96.11.11…そんなに「女の子」がいいのか?

 随分と更新をサボってしまった。すべて「スターグラディエイター」のせい、ということにしよう。
「スターグラディエイター」はプレイステーション用の格闘ゲームである。はっきり言って売れてないらしい。アーケードでの人気もさっぱりのようだ。
 しかし、私は断言する。これはいいゲームだ。「ト○ルNo.1」の百倍はいい。
 回り込みや横移動などがシステムの中でうまく活きている。また、プラズマコンボ(多様な分岐を持つ連続攻撃)も、互いの技の読みあいに深みを与えている。
 それに各キャラクターの個性的な技も魅力的だ…いや、変なキャラばっかですっげーと言った方が正直か。
 とにかく、尋常でないキャラばかりが「スターグラディエイター」には登場する。そもそも「スターウォーズ」調の基本設定を今どき引っぱり出してきたところが凄い。「どう見てもチューバッカ」とか「明らかにダースベイダー」なキャラがばしばし出てくるのは並じゃない。
 並じゃないと言えば謎の宇宙芸人サターンだ(なぜプレステのゲームでキャラ名がサターン?)。武器はヨーヨーだし、歯茎むき出しで笑ってるし、しましまパンツだしと、あまりにイカシ過ぎている。イカスと言えばやはりゲレルトだ。胸毛の濃いキザ親父…うーん、「アドン」か「サムソン」に載ってそうだな。
 まあとにかく面白いので、プレステをお持ちなら、プレイをお薦めする。
 さてこのゲーム、雑誌などでもおおむね好意的な評価を受けているようだ。しかし、それらの多くはマイナス要因としてこう述べている。
「女の子キャラが一人しかいない」
 だったらどーだと言うんだ。やたら露出度の高いネーチャンが足を上げたりお尻を振ってればいいのか。いったいゲームに何を求めているのだ? そんなのが好きなら素直にエロゲームを買え! …いや、待てよ。ひょっとして世の中キャットファイト(女闘美)マニアばかりということなのか。うーむ。今に「プレイガール」の格闘ゲームとか出るかもしれんな。

96.10.30…他人の幸せ

 なにやら近頃、結婚する人が身近に多い。また、さまざまな種類の成功を仲間がつかんだ話も聞く。祝いの言葉を口にはするが、それにちっとも心がこもっていないことを自分は知っている。うらやましくてしょうがないのだ。
 自分がおかれている状況は、まさしく自分が作り出したものだ。決して運不運の問題ではない。だから、人を妬んだりうらやんだりするのは筋違いだ…という理屈はわかる。しかし、納得できない。
 弱さとか愚かさとは、こういったことを言うのだろう。

96.10.27…ヘビーユーザー

 ソフト屋にはいろいろな人が来る。いわゆる「ヘビーユーザー」も少なくない。しかし、彼らが好むところを理解できぬ事もしばしばだ。
 たとえば、Macintoshのハードウェア改造に血道をあげるユーザー。カラークラッシック2のマザーボードをLC575にして喜ぶ方もおられたが、「そんなことせずに素直にLC575を使ったら?」と思ってしまう。そうすればかわいいクラッシックはそのままで、さらにLCも使えるというのに。どんな立派なマザーボードでも、あのちいちゃなモニターでは用途が限られよう。
 あるいは、Windowsマシンに「95」、「3.1」、「OS/2」をインストールして悦に入っている方。いったい何にパソコンを使っているんだろう? ハードディスクは2ギガでメモリーも40とか言ってにんまり笑っていたが、私にはむしろハードディスクやメモリーを無駄に消費しないほうがスマートに思える。
 私はパソコンは道具だと考えている。多分彼らは、そう思ってはいないのだろう。もったいないことだ。

96.10.23…自分の写真を貼る

 自分の写真をホームページに貼った。最初のページにリンクを作っておいた。
 正直、あまりその気はなかった。むしろ女性からメールが来ている今、あまりそのような見苦しいものを公開したくなかった。しかしやはり、持つべきものは友である。
「『失うものは何もない』んでしょう? ならすべてを見せるべきですよ」
 ホームページ道の蒼騎師匠はそう言ってくれた。正しい意見だ。ここはそれに従うことにする。

96.10.22…ばかアニメを見る

「セイバーマリオネットなんとやら」と「なんとか戦艦ナデシコ」を見る。すんげーどうようもないアニメだ。とりあえずかわいい(私にはただのバカに見える)女の子が山ほどでて、なんかたよりない男の主人公をちやほやする話だ、と思う。てきとーに見たので違ってたらすまん。
 私はオタクのりが嫌いなので、こういった話を作る輩は死滅すればいいと思っている。にもかかわらず、作品中の女の子の肩やふくらはぎの線に心がとらわれるのはなぜだろう。
 正直な話、私は女性とまっとうに交際したことがない。そのあげくにアニメの女に心を惑わされるとは屈辱だ。いや、しごくもっともな末路と言うべきか。

96.10.21…お友達万歳

 私は良い仲間に恵まれている。私のような人間もどきにとってはもったいないほどの仲間たちばかりだ。いつか礼をしたいと思っているが、難しい。
 むしろ、私は彼らに負担をかけ続けている。彼らの善意の言葉に反発を抱くこともしばしばだし、いつもやりたい放題だ。仲間すら妬むことをとどめることすらできない。
 これをなんとかできぬのであれば、いつか地獄に堕ちるだろうと思う。

96.10.18…古代も襲う今日の君

「誇大妄想狂の気味」と書いてこう読ませる洒落が昔「アウト」にあった、なんてやたらディープなネタはいい。
 誇大妄想かどうかは知らないが、おそらく私にはある種の妄想癖があるようだ。過大な期待の妄想、そしてその結果として当然の過大な失望。それらを繰り返した末に、怨念戦隊となってしまったことは十分考えられる。
 そう書くと「ジキルとハイド」みたいだな。いずれ酬いがくるかもしれん。

96.10.16…ライバル登場! 外傷戦士トラウマン

 他人(ひと)の世に愛がある 他人(ひと)の世に夢がある
 その美しい心がねたましいだけ
 今日もどこかでルサンチマン 明日もどこかでルサンチマン
 (永井豪先生すいません)

 てな訳で今日も人知れず怨念と妄想をたくましくしているルサンチマンこと宮川弘行。しかし彼の背後から肩越しに不気味な笑い声が響いてきた。
「何者!? 毒電波はもう追い払ったぞ。金縛りもここ一週間無いし」
「やばくない? マジで…それはそれとして、俺を忘れたふりをしても無駄だ、ルサンチマン!」
「き…貴様はトラウマン。だが、俺は貴様とは無縁だ」
「嘘をつけ。道行く背の高い女を見ただけで『攻撃を受ける前に二度と立ち上がれなくなるまでボコボコにぶん殴りたい』衝動に駆られるお前が、俺と無縁であるものか」
「へん、貴様だって『相手が自殺するまでいじめたガキ』の父親が自殺した記事を見て『いい気味だ』と思ったくせに!」
「なにぃ、お前なんか…」
 不毛な戦いは続く。
(未完・続きは書かないと思う。面白くないから)

96.10.15…絵文字は嫌いだ

 パソコン通信や電子メールで絵文字を多用する人を見かける。あれはフェイスマークとか言うんだっけ? インターネット上では半角カナの表示がおかしくなるためか、メリケン渡りの絵文字を使う人が多いようだ。
 さて、私はあの絵文字が嫌いだ。ついでに言うと『(笑)』も嫌いだ。理由はない…と言いたいところだが、一応少しは考えてみた。
 多くの場合、絵文字は文章のニュアンスを補う目的で用いられている。だとすると、書き手は「自らの文章では己の意図を伝えきれない」と判断しているのではないだろうか。そんないい加減な文章なら書くな、と私は言いたい。
 そもそも、絵文字で伝えられるニュアンスなどひどくあいまいなものだ。あとでいくらでも言い訳ができる。そんなもので自らの意図を他人に伝えようとするとはふざけた話だ。
『(:-p)』とか書くなら「バーカ、カーバ、チンドン屋、お前のかーちゃんデーベーソ」とでも書いて欲しい。
 なお、私のルサンチマンパワーはどちらであろうと爆発するときは爆発するのでよろしく。私は人生における出し惜しみはしない主義だ。いまさら失うものもないし。

96.10.14…「美しい旗」

 矢場町のパルコで「DANぼ」なる雑誌を購入した。一応、ボランティア情報に関する雑誌らしい。しかし、ボランティアがしたい訳でも必要としている訳でもない(愛をくれる女性ならいつでも大歓迎だが)。私がこの雑誌を買ったのは、一組の屏風がそこに掲載されていたからだ。
「美しい旗」と題されたそれは、二つ折りの屏風二つで構成されている。一枚にはセーラー服姿の女学生が日の丸の旗を掲げる姿が描かれている。そしてもう一枚には、チョゴリを身にまとった少女が大極旗(韓国の国旗)を携える姿が描かれている。1995年、会田誠氏の作品だ。
 会田氏はこの作品のタイトルを英訳するにあたり、まず「Beautifull Flags」と考え、次に「A Beautifull Flag」と考えた。しかし氏は最終的に、「Beautifull Flag」と訳した。すばらしい。ここには人間の本質が描かれている。

 アドルフ・ヒトラーの数少ない友人に、アウグスト・クビツェクという男がいた。ドイツ総統となったヒトラーは彼を疎んじたりせず、逆にワグナー祭にまねくなどした。
 ドイツは戦争に敗れ、ヒトラーは死んだ。連合軍はクビツェクを拘引した。連合軍の将校は彼に聞く。
「君はヒトラーの友人だったのだね?」
「はい」
「君はヒトラーに会うとき、二人きりだったのかね?」
「ええ」
「親衛隊とか、護衛兵とかはいなかった?」
「はい」
「では君は…その気になればヒトラーを殺せたわけだ」
「まあ…殺す気になれば、可能だったでしょうね」
「では、どうして殺さなかったんだ?!」
 きょとんとした顔で、クビツェクは答えた。
「だって…友達ですから」

 かつて古本屋で購入した『若き日のヒトラー』に紹介されていたエピソードだ。「美しき旗」に私はこのエピソードと通ずるものを感じた。私もそういったメッセージを人に伝えたい。

96.10.11…働く

 ようやく職にありついた。しかし、当面は試用期間ということでバイトあつかいである。金はない。泣けるぜって感じだ。
 まあなにはともあれ働けるのは有り難い。ただのプー(いや、いかれたプーと言うべきか)よりはなんぼかましだ。
 職場は名古屋矢場町のメディア・ベイ。みんな来てちょうだいプリーズ(BYバブルスター)。MacintoshのソフトもWindowsのソフトもおまかせオッケー(BYミンキーモモ…古いな)ってなもんだ。
 これで客が来ないとワシもへたすりゃプーに逆戻りなので、心優しき人は来てなんぞ買ってちょんまげ。雑誌もいろいろ置いてあるなりよ。12日と13日は名古屋まつりだからそれにもぴったり。頼むぜ。

96.10.7…「破裏拳ポリマー」を見る

 OVAの「破裏拳ポリマー」を友人宅で見た。最近のタツノコらしくキャラデザインはかっこいい。ファッションがぶっとびすぎという意見もあるが、すくなくともオタク受け狙い「だけ」のTVアニメのキャラ(テレ○東京、お前のことだ)とは段違いだ。特に色指定がすばらしい。このセンスは他の会社も見習って欲しいと思う。
 さて肝心の内容は、55点といったところだろうか。特に殺陣がいけない。そもそもポリマーにおける殺陣の魅力は「けれん」「けた違いの強さ」「ブルース・リーをパクリまくり」といった点にあったはずだ。ところがこのOVAでは、むしろリアリティを追ってしまった印象がある。右正拳の連撃だけで戦闘員5人を壁にめり込ませるぐらいの無茶をやってほしかった。最後にポリマーホークに転身して壁をぶち破って飛んでいくあたりはかっこよかったので、もったいなく思う。
 まあそんなことはどうでもいい。問題は、スタッフロールでちらりと見た脚本家の名前だ。確認はしていないが、大日本絵画(モデルグラフィックスなどでおなじみ)で「サンダーバード」のノベライズを出した柿沼氏だったと思う。その本を読んでいて思ったのだが、彼の感性はきっと私に近い。
 実にうらやましい話だ。自分の好きな作品のリファインをして飯が食べられるなんて、どんなにか素晴らしいことだろう。こっちは「ゼータ0096」でいくら頑張っても金にはならないというのに。ちくしょう。
 私と彼の間に横たわっているのは才能の差なのか、なんなのか。サリエリはモーツァルトの天才を認識できただけ幸せだったと思う。自らの凡庸さを認めることが出来ない限り、退くことは困難だ。たとえその先が不毛な荒野であったとしても。
 すでに食料は絶え、水もわずかだ。守るべき者もいない。しかし弾丸だけはある。22口径のおもちゃみたいな銃だが、人に向けることをためらいはしない。
 他人の幸せを素直に喜ぶことは、今の俺には出来ない。妬み、嫉み、恨むばかりだ。私をつき動かすのは怨念の力だけだ。

96.10.4…自民党はブラックジョークが上手い

 番組改変期のテレビはくだらない特番ばかりで見る気が失せる。せめて時代劇はきちんと放送して欲しい(特に大岡越前)。しかしそんな中、実に笑わせてくれる作品がある。自民党のコマーシャルだ。
「夢を実現できる日本を作ろう」(だったかな?)
 などと橋本さんがのたまうあれだ。
 いやあ、すごい。こんなブラックジョークをよく平然と放送できるものだ。多くの人々の夢を踏みつぶし、金持ちに無理矢理従属させたのはどこのどなただったろうか? まさか「夢」ってのは「天下りしたい」とか「既得権益を守りたい」とか「人体に害のある商品でも平然と生産・販売したい」とかそうゆう「夢」なわけ?
 うーん、グレート。これほどまでに見る人に怒りを感じさせるコマーシャルがはたしてあったろうか。
 まあ、新進党のコマーシャルもすごいからアイコにしようか。
 ちなみに、私は共産党に入れるつもりだ。少なくとも、席取り合戦に興じる政治屋に投票するよりはなんぼかましだろう。

96.9.29…黙れ、ジャイアンツファン

 ふふふ、なんとか「ゼータ0096」に目処がついたぞ(要するにまだあがってない)。「ハメツ的な不安」も一応おさまったし、バッチリだ!(やっぱりヤバイ)
 それはともかく、ここのところニュース番組を見ると腹立たしい。あのジャイアンツ偏向報道のせいだ。
 ジャイアンツを応援するのは良い。私だってドラゴンズを応援しているのだから、それをとやかく言う資格はない。しかし、あの極端なジャイアンツびいきの姿勢は許せない。
「もうジャイアンツの優勝に決まりましたね」だと? 司会者やキャスターまでがそろいもそろってそんな不公平なことを全国ネットで言うんじゃない! 日本中にジャイアンツファンしかいないと思ってるんだろうが、それは大きな間違いだ。大多数だからと言って、少数を無視していいなんて誰が言ったんだ。
 ずいぶんと話が大きくなるが、日本に民主主義が根付かないのも同じ根の問題だと思う。多数決は少数者に多数の意見を強要することではない。長いものに巻かれろということではない。そういったことを主張してくれる政治家は、もう沖縄にしかいないんだろうな。

96.9.8…投票しよう

 うーむ。読み返すとほんとにあぶないな、このページ。
 ま、それはさておき今すぐ(本日午後6時までに)投票に行くのだ。沖縄の人は最寄りの投票所へ。そしてその他の人は、 http://www.look.co.jp/vote/ に。
 当然の事ながら、例の米軍基地整理縮小と地位協定見直しに関する沖縄県民投票だ。インターネットの方は残念ながらあくまで模擬投票にすぎない。しかし、市民の声は可能な限り多用な形で政府に伝えられるべきである。
 このページを見る人には、傍観者であって欲しくない。賛否は問わず、まずは1票を投じていただきたい。

96.9.6…鴨川つばめに命を救われる

 タイトルで「あ、狂ったな」と思われた方。あなたは正しい。
 ことの発端は太田出版の「消えたマンガ家」の購入だった。QuickJapan連載の記事をまとめた本である。
「キャプテン」などで有名なちばあきおがいかにして自殺を選んだか。ホラー漫画家徳南晴一郎がいかに闇を背負ったまま生きているか。夜一人でそれらを読む私は、恐怖を感じつつも本を閉じることが出来なかった。
 そして「神の悪フザケ」で知られる山田花子の章まで読み進んだとき、私は心理的な瀬戸際に立っていた。山田花子は飛び降りて死んだ。追い込まれていく自らを(自らを追い込む様子を、か?)つづった日記を残して。転載された日記を読むうちに、私には彼女が他人に思えなくなってきた。あまりにも似ている。こんな感情を抱いたのはM氏(連続少女殺人容疑者)の描いた絵を見たとき以来だった。
 二階からでもコンクリートの上に落ちれば死ねるかな、と考える。極めてやばかった。
 どんよりとした思いでページをめくると、そこには鴨川つばめのインタビューが掲載されていた。QuickJapan掲載のものではなく、この本のために新たにインタビューされたものだった。以前(3年ぐらい前であったか?)「SPA!」に掲載されたように、彼は一時壊れていた。金もなく、ソープのボーイまでやっていた。その彼が自然にインタビューに答えている。冷静に過去を語っている。今は連載もなく、売れない漫画家でしかないのに。
 私は何となく、沖田はきんどーちゃんやトシちゃんが好きだったのだな、と思った。掲載された資料によると、「マカロニほうれん荘」は全9巻らしい。私は8巻までしか持っていない。9巻をさがさなきゃ、と思う。

96.9.4…QuickJapanを読む

 ルサンチマン日記だから当然アメリカのイラクへの攻撃について触れると思ったあなたはまだ甘い。あれには「やっぱりやったか」という印象しかない。いいよな、アメリカ大統領は。選挙対策でミサイル発射できて。
 まあその話はともかくQuickJapanの9号を買ったのだ。QuickJapanは「消えた漫画家」などかなりキレタ記事満載の雑誌である(前号はなんと鴨川つばめ先生のインタビューを掲載していた)。
 さて今回、私は庵野監督のインタビューが読みたくてこの本を購入した。なかなか面白かったのだが、最も印象に残ったのは「自ら死を選んだセクシーアイドル」という記事だった。解散したセクシーアイドルグループ<みるく>の一人、堀口綾子さんの自殺をめぐる記事だ。
<みるく>はスーパージョッキーなどで水着姿になったりしてたグループだが、彼女はなんとノイズ音楽のミニコミ誌をつくっていたという。わたしは知らないが<突然段ボール>というバンドの特集を組んだりしていたそうだ。ライブ活動も熱心にやっており、彼女の葬儀には多数のミュージシャンが訪れたという。
 そんな彼女が自殺した理由はよくわからない(この記事は前編で、次回それなりの回答が出るようだ)。だが私は、彼女にどこかシンパシィを感じてしまう。私はノイズ音楽を知らない。セクシーアイドルとしての彼女を知らない。だが、ミニコミを作りたくなる気持ち、さしてうまくないのに演奏したくなる気持ちは痛いほどわかる。
 なるべく次のQuickJapanは読まないことにしようと思う。こわいから。

96.9.2…国の恥はどっちだ

 私は右翼だ。別に街宣車に乗ったりはしてないが、憲法9条は改定(改正にあらず)すべきだと考えてるし、天皇制は存続して欲しいと思う。しかしそんな私でも、これにはまいった。

 以上は今日新聞に掲載された雑誌「諸君!」(文芸春秋)の広告の見出しである。なんというか、こんなに類型的なバカ右翼でいいのかなあ、と他人事ながら心配してしまう。ことに「従軍慰安婦」を中学生に教えるなという提言には絶句せざるを得ない。自らの国が犯した罪を、次代を担う者たちに教えなくて良いというのだろうか?
 たしかに、東京裁判史観に基づく教育には問題がある。「連合軍は正義だった」と教えるのは間違っている。だが、だからと言って祖国(うへえ)の過ちを知らなくて構わないというのは、いかなる考えに基づく主張なのか。日本を世界中から軽蔑される国にしたいと言うことなのだろうか?

96.8.30…日本は恐ろしい

 薬害エイズ問題でA氏(容疑者なんだろう、一応?)が逮捕された。あらためて報道を見直してるうちにインパール作戦を連想した。部下の異論を強引に押さえつける指揮官。その行動をみすみす容認してしまう周囲。その結果発生する悲惨な事態。にもかかわらず、誰も責任を負わない…すごすぎる。ワイルド7の悪徳企業もびっくりだ。私が被害者だったなら、厚生省とミドリ十字社を爆砕するかもしれん。
 それにしても恐ろしいのは、A氏もどきが無数にのさばる日本の現状だ。自分の身近にA氏もどきが一人もいないなどとは言わせない。
 日本社会では個人の良心や社会的正義より組織の理屈が優先される。「失敗の本質」(ノンセクションお薦めBooksを参照)が指摘しているように、これは戦前から日本が持っていた体質だ。よく「戦前は軍国主義だった」と言うが、それは誤りだ。陸軍も海軍も国のために動いてはいなかった。彼らの大半は己が所属する組織を何よりも優先させた。薬害エイズ問題の存在は、その体質がまったく変わっていないことの証明となっている。
 そろそろ本気で、海外への脱出を考えた方が良いかもしれない。第2第3のA氏が、明日にでも想像を絶する災厄を日本に呼び込むかも知れないのだ。

96.8.29…負けるな沖縄

 やっぱりというかなんというか、最高裁は沖縄の訴えを棄却した。例によって「政治的判断にゆだねるべき問題だから」らしい。その政治的判断に過ちが発生した場合に修正するために、司法は独立しているんじゃなかったのか? 三権分立ってのはかけ声だけなのか?
 地政学的に見れば、日本に米軍基地がないと困るといる話は解る。でなかったらどうやって「あの」中国を押さえ込むんだ? スービックはもう無いし、ウラジオストックじゃ遠すぎる。あえて言えばカムラン湾ぐらいだが、あそこはまだ社会主義だしな…。
 しかしだからと言って、沖縄にばかり負担させていいのか? もし愛知県知事が「沖縄の米軍施設の1/3を我が県が受け入れる」とか表明したら、私はその知事に一生付いていく。だがそんなことは、どこの政党もこれっぽっちも考えていないだろう。そのくせ口先では「基地が減ればいいね」などとアホなことばかりほざきおって…。
 それにしてもこれから沖縄はどうすべきなのだろう。日本国と沖縄の政治的判断が異なるというのなら、沖縄は日本を離れるべきなのだろうか? それ以外に(例えば、中国の勢力圏に入って日米と対峙する以外に)不当な重圧をはねのける術はないのか?

96.8.28…「Sci-Fiもーしょん!」を読む

 アスキー版の「Sci-Fiもーしょん!」を読み返した(当然徳間版も持ってるナリ)。その中に掲載されている「すみっこの『なんか』」が永野のりこ先生らしさがまるだしで良い。
「ああ、わたしたちもいっそ誰かにひっついて消えてしまいたいです」という台詞が印象に残るあたり、我ながらやばいと思う。
 それにしても、永野のりこ先生が近年描く女の子がみんな巨乳(この単語は好きではない)なのはなぜだろう。まあ最近の娘さんの発育がよいのは確かだが、そんな理由ではないように思える。「巨乳であって欲しい」という皆の内なる思いが彼女にそうさせているのではないか? でもそれはなぜ?
 そう言えばすげこま君も「何者かが『世界総ブラ化』をもくろんでいる!?」と叫んでいたなあ。

96.8.27…友人のMacOSマシンを触る

 友人が98(DOS)からパイオニアのMacOSマシンに買い換えたので、いじりに行った。機種はMP-GX1。ヲタクな話だが、ささみちゃんのお母さんとおそろいのマシンである。パワーPCでメモリーは40MBだ。ためしにJeditなどフリーウェアをインストールしたが、さすがに速い。音質もミニコンポなみだ。
 友人は「もうハードディスクの半分が埋まっちゃった」などとほざいている。私のマシンの空きハードディスクは20MBだというのに…。だから友人がねたましい、と話をくくりはしない。問題はアップル社だ。パイオニアを含めたMacOSマシンメーカーに、アップルはもっと優遇措置をとるべきだと私は思う。
 なぜアップルは最新機種の基板をサードパーティーに提供しないのか。サードパーティーの発展無くしてMacOSマシンに未来があるというのか。たった一人であのマイクロソフトを倒せると思っているのか。
 Macintoshの最初のコマーシャルでは、女性の投げたハンマーによって人々を支配するビッグブラザーは砕かれた。迷惑な話かも知れないが、私は今でもそれを信じているのだ。

96.8.21…「ナーズの逆襲」を見る

 久しぶりにビデオで「ナーズの逆襲」を見た。アメリカのB級映画で、たしか続編も二つほど作られたはずだ。
 タイトルにもある「ナーズ」という言葉を、字幕では「ガリ勉」と訳している。しかしどうもこの単語、「オタク」と訳すのがどちらかと言えば正しいようだ(永野のりこ先生もそうおっしゃっておられる)。ただし「ナーズ」にはスケベな日本人やゲイの黒人も含まれるらしい。
 ストーリーは、虐げられたナーズたちが一致団結して体育会系の連中と戦い、勝つというもの。なんというか、日本のオタクが内側にしか目が行かないのとはちょっと違うようだ。
 ナーズが迫害されるシーンはギャグなのだが笑えない。とても他人事とは感じられないからだ。
「やっぱり爆破するしかない」という台詞を吐くシーンが印象的。

96.8.18…Hゲームをする

 友人の98で「下級生」なるHゲームを2時間ほどプレイした。マウスを操作しているにも関わらずスクリーンセーバーが5分ごとに起動するのにはまいったが、まあしょうがない。
 さんざん文句をほざきながらのプレイであったが、友人らによると私は満面に喜びをたたえ、目を爛々と輝かせながらプレイしていたらしい。ゲーム中の女の子とのデートに燃えるとは…不覚。
 しかしながら、こういったアニメ絵の女の子の誘惑を自分が断ち切れるとは言えぬところが情けない。こうして煩悩と怨念はますます見えぬ所で増幅していくのである。

96.8.13…なぜMacintoshユーザーなのか

 はっきり言ってMacintoshはマイノリティである。アプリケーションに関して言えば、Windows陣営の優位は今後ますます確実なものとなるだろう。DTP部門におけるMacintoshの優勢はまだしばらく続くだろうが、それもいつか揺らぐ時が来る。
 しかし私は、Macintoshユーザーたることをやめたいとは思わない。理由は一つ。マイクロソフトが嫌いだからだ。
 残念ながら、Windows95のユーザーインターフェースはまだMacintoshのそれと比べると見劣りする。一貫性に欠ける操作方法。派手な割に意味不明なアイコン。私だってWindowsマシンを触ることもあるので、これらはなんとか早めに改善してもらいたい。にも関わらず、マイクロソフトは自らのOSを無敵であるかのごとく宣伝した。
 いや、正確に言えば彼らはそうしむけただけかも知れない。一番悪いのはそれにまんまと踊らされたマスコミだろう。
「よく知りませんが、Windows95はだれでもパソコンが使えるようになる魔法のソフトです」
 そんなことを言ってたアナウンサーもいた。報道機関としての役割を放棄したとしか思えない。
「ファイルマネージャーはなくなりました」
 友人の98にWindows95をインストールする際に読んだマニュアルにはそう記されていた。正直、感心した。これは本当にいいOSかもしれないと思った。だがそのあとに小さく書かれた文字を見て、思わずのけぞった。
「代わりに、エクスプローラーができました」
 …それは単に呼び名をかえただけでは?
 インターネットへの対応もバッチリという話だったが、私の友人であるWindows95ユーザーはいまだに接続が出来ずにいる。なんとマイクロソフトネットワーク経由でなければインターネットに入れないと言うのだ。しかもプロバイダーの人間が直に設定したにも関わらず、だ。「水戸黄門」の悪代官だってこんな露骨なことはしない(なお、解決法をご存じの方はぜひお教えいただきたい)。
 どんな製品にも良い点と悪い点がある。MacintoshにしてもWindows95を見習って欲しい面がないわけではない。しかし、嘘をついたりインチキをしたりする輩の商品をにこにこ笑って使える私ではない。損な性分だとは思うが、それが私だ。


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1997